パテントタンク:発明と特許の商品化と通販

発明と特許及びアイデアの商品化と通販

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日本人が関係したパテント(発明、特許、アイデア)に関するエピソードのご紹介です。

パテントあらかると

 
パテントのよもやま
●八木アンテナの発明
八木アンテナは1925年(大正14年)に、八木秀次博士と弟子の宇田新太郎博士によって発明され特許を取得しました。テレビ受信には不可欠のアンテナですが、テレビ放送(1948年、昭和23年)は始まっておらず、日本では相手にされませんでした。第二次世界大戦(1939年、昭和14年〜1945年、昭和20年)の最中、帝国海軍がイギリスの戦艦を拿捕したのですが、この戦艦にレーダーの受信アンテナとして設置されていました。八木アンテナと記されているので、驚いた帝国海軍が問いただしたところ、八木アンテナを知らないのかと揶揄されました。アイデアも知識も無い帝国海軍が、よく拿捕できたものですが、以降、日本でもレーダーやアマチュア無線に使われ、テレビ放送とともに普及することになります。
●日本版ホッチキスの発明
現在使用されているホッチキスの基は、機関銃の発明者でもあるベンジャミン・B・ホッチキスが発明し特許を取得したものです。日本版のホッチキスは1911年(明治44年)に、垣内清八が自動紙綴器として発明し特許を取得しました。また、1912年(大正元年)には天野修一が、A式紙綴器を発明し特許を得ています。1914年(大正3年)には本場のホッチキスが輸入され、国内でも生産されるようになりました。1946年(昭和21年)には、零戦の部品メーカーであった山田航空工業が本格的に生産し普及することになります。後に、山田航空工業はマックスに社名を変更することになります。日本人のアイデアは捨てられ、外国から入ってきたホッチキスが、日本で小型化の発明が成され特許を取得して、国内に限らず世界中で使用される文具となりました。日本人の知恵とアイデアを垣間見る製品の一つとなりました。
 
 
カルピスの発明と創業
カルピスは1919年(大正8年)に、僧侶の三島海雲によって発明され特許を取得しました。大隈重信との謁見の際に、蒙古で緬羊事業を行いたいと告げ、1903年(明治36年)にジンギスカンの子孫だという鮑(ホウ)の家にたどり着きます。体調を崩したとき進められるがままに、瓶から注がれたのを飲むのですが、甘酸っぱい味で飲みつづけるうちに体調を回復しました。これが馬乳をベースにした酸乳だと分かり、1915年(大正4年)に帰国した三島海雲は、日本人に合うカルピスの発明を開始することになります。なかなかアイデアが浮かばず、脱脂粉乳に砂糖を入れたまま忘れていました。これが結構な味でして、更なるアイデアからカルシュームを加えて発明の完成です。特許を申請し1919年にカルピス社から発売することになりました。
アンパンの発明と創業
アンパンは1869年(明治2年)に、木村安兵衛と子供の英三郎によって発明されました。明治維新により武士を失業した木村父子は、西洋のパン屋である文英堂を開業しました。これがさっぱりで廃業寸前まで追い込まれてしまいます。まだまだ気分は江戸時代であり、日本には饅頭があり日本人は饅頭が好きであることに気づきました。それならとアイデアを絞り、酒酵母を使い中にあんこを入れたあんパンを発明することになりました。このあんパンを引っさげ、1874年(明治7年)に屋号を改め木村屋を名のり銀座に進出することになります。このアンパンは評判となり、日本風の屋号も功を奏し今日の基礎を築く事になりました。日本に最初の特許法が制定されたのは1871年(明治4年)ですが、雪見大福みたいに食べ物のアイデアが、特許の対象になったのでしょうか。
かっぱえびせんの発明と創業
かっぱえびせんは1964年(昭和39年)に、松尾孝によって発明されました。1949年(昭和24年)に創業した松尾糧食工業は、キャラメルを製造していたのですが、とても危ない状態でした。松尾孝は日頃から、国民にはカルシュームとビタミンが足りないと感じており、商品開発を考え直すことになりました。1955年(昭和30年)に小麦からあられを作るアイデアを思い付き、製造に成功することになります。社名を松尾糧食工業からカルビーに変更し、かっぱあられと命名し発売しました。やや持ち直したのですが、理念であるカルシュームが足りません。松尾孝はエビが好きで、故郷である広島の川でエビを捕まえ、かき揚げにして食べたことを思い出しました。これだと思い、生エビを練りこむアイデアが浮かび、特許を得て国民的かっぱえびせんの発売となりました。
味の素の発明と創業
味の素は1908年(明治41年)に、東大理学部の池田菊苗博士が発明し特許を取得しました。湯どうふを家族と食していたとき、とても美味しく子供からなぜなの?と問われました。当たり前のこととして食べていたためか、残念ながら昆布のだしとしか答えられませんでした。池田菊苗、実に42歳のときでした。早速、大量の昆布を使い分析した結果、グルタミン酸であることを突き止めます。やがて製法特許を申請するのですが、鈴木三郎助なる者が現れ工業化の話を切り出しました。この鈴木三郎助はヨード製造を営んでいたのですが、米相場で相当なダメージを受けていました。すがるアイデアから共同開発を提案し、1908年(明治41年)に味の素が発売されることになりました。鈴木三郎助は味の素を創業し、池田菊苗博士は多額の特許料を受け取ることになります。
蚊取り線香の発明と創業
蚊取り線香は1889年(明治22年)に、上山英一郎が発明し特許を取得しました。みかんの輸出をしていた上山英一郎は、福沢諭吉の紹介を受け、アメリカで植物会社を経営していたH・E・アモアと面会しました。このH・E・アモアから殺虫効果のある除虫菊の種を譲り受けます。上山英一郎は、これを国中に広めようと旅をしていたとき線香の行商人に出会いました。線香を見て殺虫線香のアイデアを思い付くことになりました。1890年(明治23年)に線香状の蚊取り線香を発明し発売したのですが、直ぐに燃え尽きることに悩んでいました。見かねた奥さんが渦巻きにでもしたらとアイデアを提供したので、そうだなと思い渦巻き蚊取り線香を発明することができました。特許を得て1935年(昭和10年)に大日本除虫菊、金鳥が誕生することになりました。
亀の子束子の発明と創業
亀の子束子は1908年(明治41年)に、西尾正左衛門が発明し実用新案として登録されました。当時、特許を却下されながらも靴拭きマットを製造・販売していた西尾商店は、唯一のこれが売れなくて火の車でした。在庫を減らすアイデアか何を考えたか妻のやすは、靴拭きマットをばらした部品を丸め、手際よく障子を掃除していました。西尾正左衛門は眺めていたのですが、束子のアイデアが出てくることになります。束子はできたのですが、ネーミングのアイデアがありませんでした。偶然にも、子供が池の亀を見つけ声をかけてきました。そうか亀の甲羅にも似ているし長生きだしと言い聞かせ亀の子束子と命名することになります。1915年(大正4年)7月2日には特許としても登録され、類似品の特許侵害にうんざりするほど泣きましたがたわしの日となりました。
 
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