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電気いすの発明 |
| 電気いすは1889年(明治22年)に、アメリカのハロルド・P・ブラウンによって発明されました。アイデアは歯科医ルバート・サウスウィックが提供したもので、麻薬患者が発電機に触れて即死したのを見て閃いたものです。なお、この発電機はトーマス・エジソンが発明し特許を取得したもので、ハロルド・P・ブラウンはエジソンの部下であり助言を得ていました。さて記念すべき第1号は、ニューヨーク州在住の死刑囚ケムラーです。いよいよ通電開始ですが、失敗してやり直しの決定が下されます。眺めていたので欠点を改良後、二度目が執行されるのですが成功するまで10分近くの時間を要しました。なお、事業と特許に欲の深いトーマス・エジソンのことですから、電気いすの特許を得たかったと思いますが、特許の申請も登録も成されていません。 |
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ギロチンの発明 |
| ギロチンは1792年(寛政4年)に、フランスの外科医ルイス博士が発明しました。アイデアを提供したのは内科医ジョゼフ・ギヨタン博士でした。フランス革命(1789年、寛政元年〜1794年、寛政6年)の最中、ジョゼフ・ギョタン博士は多くの囚人が処刑されるのを苦慮していました。そこでジョゼフ・ギョタン博士は、無駄な苦痛を与えず全ての人が平等に、一撃の下にできる処刑具のアイデアを提案しました。このアイデアを基に、知合いの外科医ルイス博士がギロチンを発明することになります。残念ながら第1号の体験者は分かりませんが、フランス革命当時から1977年(昭和52年)に廃止されるまで、2千数百名の方が体験させられることになりました。なお、提案者に敬意を表し、ギロチンはジョゼフ・ギョタン博士から命名され特許も取得しておりません。 |
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計算機の発明 |
| 最初の歯車式計算機は1623年(元和9年)に、ウィルヘルム・シッカードによって天体計算を行うために発明されました。1645年(正保2年)に第2号の歯車式計算機として、ブレーズ・パスカルによって発明され特許を取得しました。ブレーズ・パスカルの父親は税金取立ての仕事をしていたのですが、徴収した税金の計算に追われる日々でした。親思いだったブレーズ・パスカルは、楽にさせてあげたいと思うアイデアから、1642年(寛永19年)19歳の時に計算機を発明することを決心します。1645年(正保2年)に完成し1652年(慶安5年)までの間に50台ほどを生産し、父親以外に販売したのですがほとんど売れませんでした。ここでブレーズ・パスカルは計算機から手を引いてしまいます。その後は1672年(寛文12年)にゴットフリート・ライプニッツの登場となります。 |
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ランドセルの発明 |
| ランドセルの語源はオランダの背負いかばんを意味するランセルであることから、オランダで発明され江戸時代に日本に伝わったと思われます。明治以降、日本陸軍の背嚢として使用されることになります。通学かばんとして採用されたのは1885年(明治18年)に、学習院が学用品を入れるように制定したことによります。なお、学習院にはそれなりの子弟が入学していたと思われ、このときまで馬車か人力車で通学していました。学校給食と同様に、これらでの通学が禁止され学用品はランドセルに統一されました。また、ランドセルが革になったのは、1887年(明治20年)に大正天皇が学習院の初等科に入学する時、総理大臣伊藤博文がプレゼントしたことがきっかけです。以降、革のランドセルが小学生の必需品になり、アイデアを凝らし特許を得たものも登場してきました。 |
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飛行機の発明 |
| 日本人による飛行機は1891年(明治24年)に、二宮忠八によって発明されました。ライト兄弟より12年も前のことでした。二宮忠八はビラ巻き凧を発明するなどアイデアの才に長けていました。カラスの飛行を真似れば、人間も空を飛べるとアイデアが浮かぶことになります。ついに発明したカラス飛行器は、ゴムでプロペラを回し30メートルほどの滑空に成功しました。折りしも1894年(明治27年)に日清戦争が勃発し、飛行機の開発を軍部に打診するのですが、空を飛ぶアイデアなど信じられず却下されてしまいました。それでも二宮忠八はめげずに、一人で飛行器から飛行機の発明に取り組んでいたのですが、ライト兄弟が飛行に成功し特許を取得したことを知ることになります。失意の二宮忠八は、製作中であった飛行機を壊してしまいました。 |
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カレーライスの発明 |
| カレー粉は、1700年(元禄13年)の後半にイギリスで発明されカレーと命名されました。日本には幕末の時代に伝わっていたのですが、何に使うのかアイデアも無く、具体的に調理に使用されることはありませんでした。1876年(明治9年)に札幌農学校に教頭として赴任したウィリアム・スミス・クラーク博士は、学生の貧しい食事を見て愕然とすることになります。悩んだ末のアイデアから野菜とか肉をカレー粉で煮込むことを思い付き、ライスカレーと命名することになりました。記録によると1881年(明治14年)に出されたものと思われます。なお、1869年(明治2年)に札幌に本府(道庁)が建設され、1875年(明治8年)に最初の屯田兵が入植し札幌学校が開校しました。このとき住んでいた和人は2世帯で、アイヌの住む土地だったことをうかがわせます。 |
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